2009年3月30日月曜日

心よありがとう

心よありがとう

人生に意味があるのか。
ある人は意味があるという。
又ある人は、人生なんて意味がないという。
では、「意味」とは何か。

意(い)は心である。意(こころ)の味わいとの意味だ。
故に、意(こころ)がわかることが、意味がわかることだ。
わたくしたち人間は生まれるまえからの生命を頂いて生きている。
この命が意(こころ)だ。
この世に生を受け、「おぎゃあ」と泣き叫んだ。
赤子の時には赤子の世界をそのまま照らしいたのが意(こころ)だ、生命だ。
少年から青年に、青年から老年になったが、
老年は老年の世界をそのまま照らしているのが意(こころ)であり、意(こころ)の味じわいだ。

朝の世界は朝の世界を、昼の世界には昼の世界を、
二十四時間いつも休まず自らを正しく照らしている。それが意(こころ)だ。
父母といた時には父母と共に、の世界を、亡くなってからは亡くなってからの世界を、
いつもわたくしを離れず照らしているのが意(こころ)だ。大本の生命だ。

愉しい時には愉しいままに、
悲しいときには悲しいままに意(こころ)は正しく照らしている。
心よ、生命よ、ありがとう。
あなたほど大切なものはない。
これが意(こころ)の、ほんとうの味わいだ。

殺人が悪いのは、この上なく大切な意(こころ)の味わいに無知だからだ。

わたくしたちの心、大本の生命は、
たとえ地獄の底であっても、死に変わり生れ変わり、
永遠に支え守ってくれている光だ。

心よ、ありがとう。