2009年6月1日月曜日

命を正しく生かす

命を正しく生かす

何ゆえこの世に生を受けたのか。
何ゆえにこの身体を授かったのか。

この生命の真実とは何か。

身体のことは身体を親しく知ることである。
眼・耳・鼻・舌・身・意からなる身体の、
たとえば眼。

眼の本体は眼ではない。
視界のすべての世界が本体だ。
眼はその窓にすぎない。

故に、眼は眼自身のためにあるのではない。
視界にはいる一切の世界を正しく生かすために与えられたものだ。

他についても同様だ。
一切の音、香り、味わい、身で触れ心におもう世界を、
正しく生かすために授かった宇宙的生命である。

眼・耳・鼻・舌・身・意から生ずる世界は、
宇宙そのものである。
わたくしたちの身心は本来、宇宙そのものなのだ。

一個の生命は誠に小さくはかないが、
身心の一つ一つは宇宙的生命として、
全宇宙を生かすために与えられている。

生命は私のものではない。
私たちは、宇宙から五体を授った。
全宇宙を生かすために、
私たちはこの世に生かされているということである。

2009年4月17日金曜日

自己紹介

無得龍広(むとくりゅうこう)
本名 山本幸広。1943年大坂生まれ。法政大学中退。

臨済禅の法統を継ぎ、在家禅の旗を掲げる釈迦牟尼会の第2代会長・師家無作光龍老師に、64年在学中に相見。以後、武蔵野般若道場内の淡水寮に落ち着き,同道場において参禅弁道に励む。

その間、道友とともに千日摂心を満了。80年嗣法。89年第3代会長・無門龍善老師に代わり、第4代会長に就任。
92年から03年まで一橋大学如意団禅会の師家を兼任。96年ウイ-ンの禅会と交流、提唱を行う。
著書に「すべてこの身にありー平成に生きる在家禅」(釈迦牟尼会)がある。



2009年3月30日月曜日

心よありがとう

心よありがとう

人生に意味があるのか。
ある人は意味があるという。
又ある人は、人生なんて意味がないという。
では、「意味」とは何か。

意(い)は心である。意(こころ)の味わいとの意味だ。
故に、意(こころ)がわかることが、意味がわかることだ。
わたくしたち人間は生まれるまえからの生命を頂いて生きている。
この命が意(こころ)だ。
この世に生を受け、「おぎゃあ」と泣き叫んだ。
赤子の時には赤子の世界をそのまま照らしいたのが意(こころ)だ、生命だ。
少年から青年に、青年から老年になったが、
老年は老年の世界をそのまま照らしているのが意(こころ)であり、意(こころ)の味じわいだ。

朝の世界は朝の世界を、昼の世界には昼の世界を、
二十四時間いつも休まず自らを正しく照らしている。それが意(こころ)だ。
父母といた時には父母と共に、の世界を、亡くなってからは亡くなってからの世界を、
いつもわたくしを離れず照らしているのが意(こころ)だ。大本の生命だ。

愉しい時には愉しいままに、
悲しいときには悲しいままに意(こころ)は正しく照らしている。
心よ、生命よ、ありがとう。
あなたほど大切なものはない。
これが意(こころ)の、ほんとうの味わいだ。

殺人が悪いのは、この上なく大切な意(こころ)の味わいに無知だからだ。

わたくしたちの心、大本の生命は、
たとえ地獄の底であっても、死に変わり生れ変わり、
永遠に支え守ってくれている光だ。

心よ、ありがとう。