2009年9月25日金曜日

無事是れ貴人

無事是れ貴人

普通、無事の人とは、毎日面倒な問題が一切なくなり、日々平安に過ごしている人のことを言う。

しかし、単に状況が無事の人をいうもであれば、果たして貴人といえるであろうか。
貴人とは真実無事の人。

すなわち、幸不幸、平安であろうとなかろうと、いかなる人生に
あっても、平安無事の人、これが貴人だ。

このような、真に無事の人になるには、身体と心の真相に目覚め
ることが第一だ。身体も心、本来私のものではない。もとから授かった生命だ。
この身心は、生れる以前からの因縁所生のものに過ぎない。
身体は身体あるだけ。心は心あるだけ。この外特別に私があるのではない。
うれしいはただうれしい。悲しいはただ悲しい。楽しいはただ楽しい、苦しいはただ苦しい。本来、ここに私というものはない。

私がないから、喜怒哀楽は喜怒哀楽そのままが喜怒哀楽をはなれる道だ。
生老病死は生老病死そのままが、生老病死を離れる道だ。無事とはこのことだ。
日常のいかなることも、あるがままに見てとらわれず、そのまま
離れ成すべきことを成す。このような人を、無事是れ貴人という。